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唐木田民話「めごすけ」

むがーすむがす、からきだのあるところさ、めごすけという男がおったんだど。

めごすけの家ゎ山道の中さあって、人が昼も夜も家の側を歩いておった。

そんでこの男は、朝が来っと人の足音と、鳥っこの声で目を覚ました。

もっともっと寝でえなー、うんと寝でえなーって思いながらすごしておったんだがの、ある朝、まったく家の外から音がしながったんだど。

 

なんだがおちつかねくねって、外さ出っとの、雀が道端でバタバタと倒れったんだど。

こりゃあてえへんだ、かあちゃんみでけろー!ってめごすけ叫ぶと、かあちゃん慌てて土間から飛び出した。

めごすけや、あほなこともおすなや、眼さバガでもできてんでねえのか?なんて、かあちゃんはめごすけ指さして笑うだけだった。

かあちゃん、ほんとだでば。みでけろ、雀が死んでっちゃ。

 

うるせくてわがんねえくれえ、めごすけは騒いだ。道行く人たちも、なんだこいづ、うるせくてわがんねー!って心底呆れた。

けんども、妹のマルグリットいうめんこいのがおったんだがの、あんちゃんの声さはっぱり反応しねえで寝ぷこげてだ。

 

めごすけも、かあちゃんも不思議に思っての。マルの部屋をこっそり覗いてみたんだわ。

すっと、布団の中でマルがモゾモゾと動いていた。なぬか腹ピリでも起こしたんでねえかって、めごすけもあんちゃんだから気になっての。マル、なぬすた?って聞いてみた。

 

おにいさん、その美味しそうなパンを私にくださいな。って、布団から飛び出したマルが叫んだんだわ。

いつになく真剣な顔で言うもんだから、あんちゃん面白くなっての。マルや、おめえも眼さバガできたのが?て聞いた。

 

そすて、あんちゃんは優しいからの、ほんとぬ妹さパンっここさえでやろうどおもったんだど。その日は朝早くての、多摩センのサンマルクはまだ開いてねえっか、あんちゃん困った。けんど、雀が転がってるとこ見てみだっけ、パンっこ転がってた。

ばっちいけど、あいづの眼さバガできてっからバレねえっぺ。あめがったな。あんちゃんの考えはあめがった。

めごすけ、そのパンっこたがえて、めんこいマルさかせでやろうと思った。そのめえぬ味見してやんべって、くっちまったんだわ。バガだ。したっけめごすけも雀と一緒に転がってどこかさいっちまったんだど。

 

あんちゃんや、あんちゃんやって、それからマルはわがんねえくらい泣いた。糞も垂れ流しての、家の側を通るサラリーマン達から臭せくてわがんね、ってクレームよごさった。

しゃあねえからって、それからほどなく、部落でカネ出し合っての。臭っせえマルの糞を川さ流すための坂を作った。

 

 

今ではもう川が埋められちまっての。坂は残って、おめだづが学校さ通ってる道さなってんべ。西公園さ桐の木が一本あっての。夏が近くなると、めんこい花っこ咲かせんだ。あれはな、あんちゃんのエロ本を埋めたマルが目印に植えた木なんだど。

 

 

(了)

 

 

英文法ってやっぱり大事だ

タイトルの通り。最近本当に、そう思います。

私は英語を使うことに興味がありまして、常日頃(?)勉強をしています。 厳密には勉強をしている「つもり」かもしれませんが。

 

大学では英文学を専攻したわけではないのですが、一貫して英語には興味があったのです。ところが持ち前のコミュニケーション恐怖症のおかげで、異邦人の友人を持つことも無く、TOEICを受験することもなく、皆がひたすら「TOEICのスコアが何点だったうんたらかんたら......」と言っているのを聞き流して大学時代が終わっていました。

正直なところ大学時代は英語の勉強をしていた とは言えないです。

 

振り返ってみると、なんだか「本当に英語に興味あるのか?」と自分でも疑わずにはいられないのですが、英文を読むとワクワクするんです。特に今、です。

それで最近は旺文社の『英文標準問題精講』を読んだり、ワイルドの短編を原文で読んだりしていたのですが、読み進めるうちに自分の語学力(読解力のほうが正しいかもしれない)に自信が無くなっていきました。

そこで勉強法を改めなければ と思っていた矢先に、とある本に出会いました。

 

澤井康祐さん著の『一生モノの英語力を身につけるたったひとつの学習法』という本です。こちらでは「読む」ことができてからはじめて、話す、聴く、書くという技能の意味が出てくると書かれています。(私の読みが正しければ)

それで、私は「なるほど」と思ったわけです。こうやって日本人である私が日本語でブログを書くことができるのは、日本語を「読む」ことができるから。

英語だって同じことなんですよね。

 

そういうことで、英文法は英語学習において大事だと「再認識」しました。

薄々、文法は大事だ ってのは思っていたのですけど、こういう自信喪失みたいな機会がないと再認識できませんでした。

 

 

 

 

ゲイビデオにおけるモデルの年齢について(COAT AVシリーズを中心に)

現在、私は総合人文サークル「亀頭庵」という団体を主宰しております。

主な活動として、メンバーそれぞれが関心を持つ事柄について考察するという取り組みを行っています。

今回は、私 成田が以前から取り組んでいるマイノリティ(LGBTなど)研究の一環として、考察(というかメモのようなもの)を掲載したいと思います。

 

テーマ:ゲイビデオ出演モデルの年齢(設定)は何歳くらいが多いのか?

考察背景:ゲイビには様々なジャンルがある中で、若年者の出演者が多いという予測。その中でも何歳が平均的なのか知りたい。

研究対象:ゲイビデオレーベル数社→有名どころ→野獣先輩→COAT

商品媒体はDVD 販売期間は2010年1月から2017年5月現在までとする。

ゲイビデオでありつつアダルトビデオの主流形式であろう男女カラミを採るレーベルに絞り込む→ANOTHER VERSION(略称AV)シリーズに決定。

 

以上、テーマ設定および研究対象を基に調査を行いました。

調査期間:2016年5月6日 出典先:Gayjp.(通販サイトゲイジェーピー)

【結果】

ANOTHERVERSION34作品(シリーズ全103作)

平均年齢:19.6歳 

記載最少年齢:18歳 最高年齢:27歳

【考察】

AVシリーズは男女カラミのシリーズとして知られています。故に、出演男性者はノンケとして扱われ、且つゲイビである以上男優にカメラの焦点が当てられます。

COATのビデオ自体が全体的に若い男性をモデルに起用しているというのがありますが、このシリーズは特にその傾向が顕著でした。

同性愛者の中には女性嫌悪(同族嫌悪のようなものでしょうか)を露骨に示す人(成田の対人歴から)も居る中でゲイビデオに女性が登場する役割とはいったい何なのでしょう。

それは、様々なところで口をそろえて言われていることでありますが、女性と交わる際にしか見られない男性「らしさ」に対する需要を満たすというところに女性登場の意味があるように思われます。

購入者(ゲイ)は普段、男性同士で交わっているので、男「らしさ」というものに対するある程度のイメージができている。自分たちは女性と交わら(ることができ)ないので、そのようなことがないノンケ「らしさ」に同性愛者が憧れを抱く(これも同性愛的感情)ことがあるのではないかと考えます。

 

そのノンケ「らしさ」を強調するかのように、AVシリーズの商品には「童貞」という言葉が散見されます。

これは、出演者が異性愛者であることを示すのみならず、購入者の欲望を駆り立てる言葉として効果的に使われているのでしょう。

 

新たな問題がここで浮上します。「童貞」という言葉と年齢の問題です。

ゲイビデオにおいて「童貞」が許される年齢は何歳か?ということです。

その疑問に対応するのが、今回の調査の結果であり、19.6歳。まあ四捨五入して20歳が平均であるということでしょうか。いささか早足であり、サンプルが少ないのですが、平均してハタチ。これが意味するところは何なのか。

セックスを観賞するに堪えうる年齢がハタチそこそこなのか。それとも出演してしまうモデルさんたちが本当にその年齢なのか...。(ジャケットを見ていると怪しい人もいますけどね)

 

このシリーズだけ意図的に19歳くらいに設定されているのだろうかと思い、他のシリーズも平均年齢を出してみました。

ACTIVEBODY というシリーズ(こちらは女性出演者なし)では、19.8歳。

やはりハタチくらい。ということは、この会社が好んで年齢をこのくらいに設定している可能性は 有る と言っても良いのかもしれない。

勿論、断言するためには他のシリーズにおける平均年齢を出し切ってからでないと条件は満たされませんのでここでは控えます。

 

本当は、たった二つやそこらのシリーズを調べるのではなくてもっと沢山のシリーズを対象に、年齢だけじゃなくモデルの身長や体重の平均も出したいのですよ。

そうやって平均的なアダルトビデオモデルのスペックを出してみたいんですよね。それだけなんですけどね、本当に。何をやっているんだろう私。

 

 

影の断片

夜勤のアルバイトが終わりに近づくころ、僕は店内に差し込む朝陽と共に入店してくる客たちを相手にレジ打ちすることで精一杯だった。
彼らはいつ見ても、生気のない顔をしていた。目はとろんとして、皆視点がどこにも定まっておらずうわついている。

僕はそんな彼らの姿を見るのがとても不快だった。というのは、昔の自分の姿を見ているようで、思い出す必要が無い出来事が頭のなかでざわついてくるからだ。
僕は大学卒業と共に就職し、1年程証券会社で働いた。働いている間、僕の背後からは影が伸びていて、それが僕を包み込むような場面が何度となくあった。
その影は僕の後ろにいるはずなのに、寝ている間は夢に出てきて真正面から詰めてきた。
「お前はなんで生きているんだ? このままでいいのか?」そんな言葉を吐きかけられ、気がついたら僕は会社を辞めていた。

転職しても結果は同じだ。僕は働くことに向いていない。けれど生きていく以上何かで生計を立てなければならず、適当にコンビニの夜勤を始めた。
僕は最初から、夜勤バイトに対して賃金以外の何かを求めてはいなかった。と言えば噓になるかもしれない。あまり人と関わらずに済むだろうか、という期待は少しだけ抱いていた。
その期待は裏切られた。会社に居た頃と変わらず、「信じない」ことを強要され、いつしか他人の影まではっきりと自分の眼に映るようになっていた。

客の大多数は、態度が悪い人間だった。カウンターに籠を乱暴に載せる者や、こちらが言葉を発する前から舌打ちをして苛立つ者など、皆身勝手だった。
客たちの背後からは昼夜問わず影が伸びていた。僕はそんな彼らにとって、一時ばかりの召使いになる。
「仕事なんてそんなもんだ。とりあえず頭さげてりゃあいいんだよ」働いていた頃上司から言われたことを、レジ打ちの度に思い出していた。


そうやって、バイトの日々は過ぎて行った。このままどうしようもなくなるまでバイトを続け、自分が自分に飲み込まれるまで生きていくしかないのか。
影は会社に居た頃に比べれば薄れていたが、その存在に相変わらず怯えながら生活するしかなかった。

 

四月に始めたバイトには3ヶ月経つと慣れた。その頃から綺麗な娘が客として朝のコンビニへやってくるようになった。
その娘は黒の長髪で鼻筋が通っており、薄い桜色の事務服を着て凛としている。僕は、レジを素早く打ちながらも彼女を観察した。
不思議なことに彼女からは一切、影が伸びていなかった。彼女が来るたびに確認したが、変化は起きない。明らかに、他の客とは異なっていたのだ。

それからというもの、彼女に会うのがバイトの楽しみになっていた。影が無い人間を接客するのは気が楽だ。何より、彼女の容姿が僕の好みだった。
1日、また1日と日数を重ねるごとに僕は彼女と過ごす時間が増していることを喜んだ。時々、つり銭を渡す時に触れる人差し指や親指の感触が僕を勇気づけた。
「今日もお勤めご苦労様です」と僕は意を決し彼女に話しかけた。すると、
「ありがとうございます。店員さんもお疲れ様です」とはっきりとした口調で明るく彼女は答えた。容姿に合う人物で、僕の見立ては間違いないと確信した。


告白をしてきたのは彼女の方からだった。いつものように彼女は、ミニサラダとカップ春雨スープ、それからヨーグルトを持って僕が立つレジへ颯爽とやってきて
「これ、よかったら」と名刺サイズの白い紙切れをカップの蓋に載せて僕に渡した。その表情は今まで見た彼女の中で最も頬に赤みを持っていた。僕は礼を言い、その場で内容をじっくりと読みたかったが、彼女の後ろに客が三人も控えていたので慌てて制服の右ポケットに紙切れを突っ込んだ。

夜勤を終えてアパートに帰り熱いシャワーを浴びたところで心が落ち着き、ソファに座りながら彼女から受け取った紙切れの中身を読んだ。
そこには僕に好意があること、そして良ければ連絡が欲しいという言葉と共に、彼女の携帯電話番号が記載されていた。僕は自分から言い出す前に、意中の人から告白をされたのだ。彼女は昼間に働いているだろうから、夕方以降に連絡をしようと決めて布団に潜った。

だが、なかなか寝付けなかった。僕の影は、普段と異なる形で僕を包み込もうとしていた。

僕は恋愛で良い思いをしたことがない。それまで、大学時代に一時期付き合った女の子とも、手を握って歩くだけで精一杯だった。これから始まる大人の恋愛には、セックスが付きものだというのに23歳の僕はそれを童貞のまま迎えることになる。友人は「そんなの気にするなよ」と肩を叩いてまで励ましてくれたのだが、僕はとても気にしていた。
自分の平凡な親でさえ、平凡な生活の中でセックスをして僕を作ることができたというのに、僕はそれすら、その真似事すらできない。これじゃあ欠陥品じゃないか! と心の中で叫ぶことがしばしばあった。
影はそんな僕の臆病を見過ごすわけもなく、付け入ろうとしていた。卑怯なことに真正面からではなく足元から僕に忍び寄っていたのだ。

午後6時半を過ぎたので、紙切れを手に取り彼女の携帯番号にかけた。3コール鳴ったところで「はい、門田です」と彼女の声が聞こえた。今朝コンビニでお会いした店員の松村ですと僕が告げると、彼女は僕が連絡を寄越したことに喜んでいた。彼女は、すぐに職場から自宅に向かい、今から15分くらいで着くと言う。早口で喋る彼女の住所を聴き取りメモに控えて部屋を出た。

彼女の住まいというのは、僕のアパートとさほど変わらず築年数が30年は経過しているように見える建物だった。
錆びついた手すりがついた階段を上がり、2階にある彼女の部屋に到着した。間取りも僕の部屋とさほど変わらない6畳一間。若い女性には少し可哀想な気がした。

彼女は僕を笑顔で出迎えてくれた。そこまでは順調だったと言えるだろう。この後僕は何を想ったのか、今思い返してもわからないのだが頭よりも口が先に動いていた。

「僕、童貞なんです」その一言が決め手だった。彼女の部屋に入って簡単な自己紹介をしてから間もないうちに、僕はベッドへ招かれ押し倒された。
身体はシーツと密着し、普段の彼女の匂いであろう石鹸の薫りが枕元から漂う。
そうこうしているうちに、彼女が僕のベルトに手をかけるガチャガチャとした音が聞こえ、人生で初めて、僕は性器を異性に見せてしまった。
「じゃあ次はあたしです」と言って彼女は真っ白なTシャツを脱ぎ、その乳房を露わにした。そこで僕は、自分の下半身に熱い存在を感じ、同時に足元でクスクスと笑う影の声を聞いた。「どうだ? こわいのか?」と。

彼女は僕の性器を口と手で交互に愛撫してくれた。それも初めての経験だったが、この後の流れは大体分かる。予習をこれまでに幾度もしてきた。だから意識が快楽で飛んでしまわないうちに、次のステップに移ろうとして僕は身体を起こした。
「あの、どうして僕のことを?」恐る恐る尋ねると、「眼が」と彼女は言った。
「眼?」僕は聞き返した。眼が一体なんだというのだ。僕は生まれつきの一重で中肉中背の、モデルのような容姿ではない。

「眼が澄んでいて、素敵だったからです」と僕の股間を見詰めながら彼女は言った。意外だった。僕は彼女以外のコンビニ客と変わらず、影を身にまとっている生気のない人間だと自認していたから。
「私の、死んだ弟に似ていて、あなたは澄んだ眼をしています」彼女はそう言うと僕の首筋に頭を寄せてきた。
「弟は仙川のマヨネーズ工場で働いていました。それはもう、バカが付くほどに真面目で、あなたと同じように澄んだ眼をしていました」
彼女の吐息による温かさと、僕の胸に触れる彼女の乳房のせいで、話が半分入って来るようで入って来なかった。彼女は話を続ける。
「その真面目のおかげで、彼にはお似合いの可愛い彼女ができました。本当に幸せそうで、見ている私の方も幸せでした」僕は想像した。幸せな生活を送る弟と、その様子を笑顔で見守る姉の姿を。
彼らの姿には影の断片すら感じられなかった。僕はその光景に少しだけ嫉妬をした。

「ですがある日、2人は無理心中をしたのです。そこから私は心の中に鉛のような存在を感じるようになりました」
同情でもしてやればよかったのだろうが、僕は出来なかった。そこで僕は、次のステップに移りたかったのもあり、「それで?」と言った。
「え?」彼女は戸惑っていたが、事情を察したようで起き上がり今度は仰向けの僕に対して馬乗りの体勢になった。
僕は彼女の乳房を、果実のようにもぎ取ろうと手を伸ばした。すると彼女の股間からすぅっと伸びる影を見つけた。
そこで僕は彼女の秘密を知った。彼女はずっと、自室から外に出ている間は影を心の中に押し込めていたのだ。

「もう隠す必要ない。これからは僕がきちんと、受け止める」こんな台詞を吐く自分が不思議で仕方がなかった。その後は身体の赴くままに、僕たちはお互いの影をはぎ取るようにして貪りあった。

時計の針は24時を回っていた。ベッドの上で激しく動き、身体は汗でべたついているのに、気だるく感じることがない。僕も彼女も互いに3回程射精し、影はいつの間にか消え去っていた。
僕は、彼女と秘密を共有することになった。そのことが僕に自信を与えてくれた。そして、僕は良い意味で彼女に噓をつかれた。まぁ許す。今更「彼」と呼ぶわけにはいかない。

これからは、誰かと想い合いながら生きていくことができる。あのコンビニの客たちにはどこに行っても買えない「愛」を僕は見つけたのだ。

この話はきっと、聞いた人に気持ち悪がられるだろうから秘密にしておきたいのだが、今あなたにしてしまったのではどうしようもないかもしれない。まあそれでもいい。もう僕は何かを隠せるような影を持ち合わせてはいないから。

 


(了)

啓告

私は、私が居ない風景を想像することがしばしばある。記憶をたどると、それは幼稚園児くらいの頃にはじまっていた。

どうして、そんなことをするようになったのかは、わからない。わかるのは、その行為が楽しい、という事だけだ。

 

思えば私は、想像や空想といった類のことに慣れ親しんできた。それらは音楽や文学(のようなもの、といったほうが適切かもしれない)の形で、私の心を潤してきた。

いわゆる「芸術」関連の行いというのは、自分の内面に深く潜ることで達成され得るのではないかと、昔の(といっても最近)私は考えていた。

この考えは多分に独りよがりであろう。想像や空想は、自分ひとりが存在することで(そもそも自分が何かわからないのではあるが)成立するはずがない。

冒頭に書いた「私が居ない風景」の前提には「私が居る風景」が存在しているからだ。

 

私が居る風景と居ない風景、それら二つの風景が交差するとき、今度はどのような風景があらわれるのだろうか。

 

気づけば幼少のころから、私はこの見えない景色を追い求めていたようだ。その景色を浮かび上がらせる「鍵」、それは言葉なのかもしれない。

 

言葉は、住む地域によって異なる。言葉は、人が住む風景を作り、私たちは言葉に生かされている。

 

言葉が人を作ったのではない。人間が言葉を作ったのだ。そう考える人もいるだろう。それも一理ある。実際に、言葉が生まれるより先に、人間は地球に存在していたのだから、そう思うのも無理はない。

けれど、言葉というものが登場してから、人間はそれまでよりも豊かになったのではないか。そう思うと、(随分早足で強引気味ではあるが)人間はいつだって言葉によって進歩して生きている。そうやって未来をこじ開けていけるのではないか、という気がしてくる。

 

言葉は未来をこじ開ける鍵になる そうだと私は信じている。

 

 

 

♡自己紹介♡

成田美智子(なりた みちこ)仮名。

1991年東京都多摩市生まれ。中央大学文学部卒。痔持ちの鬱病。2016年から思考盗聴被害に遭い、日夜敵と格闘中。現在、唐木田帝国大学在学中。総合人文サークル「亀頭庵」主宰。