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啓告

私は、私が居ない風景を想像することがしばしばある。記憶をたどると、それは幼稚園児くらいの頃にはじまっていた。

どうして、そんなことをするようになったのかは、わからない。わかるのは、その行為が楽しい、という事だけだ。

 

思えば私は、想像や空想といった類のことに慣れ親しんできた。それらは音楽や文学(のようなもの、といったほうが適切かもしれない)の形で、私の心を潤してきた。

いわゆる「芸術」関連の行いというのは、自分の内面に深く潜ることで達成され得るのではないかと、昔の(といっても最近)私は考えていた。

この考えは多分に独りよがりであろう。想像や空想は、自分ひとりが存在することで(そもそも自分が何かわからないのではあるが)成立するはずがない。

冒頭に書いた「私が居ない風景」の前提には「私が居る風景」が存在しているからだ。

 

私が居る風景と居ない風景、それら二つの風景が交差するとき、今度はどのような風景があらわれるのだろうか。

 

気づけば幼少のころから、私はこの見えない景色を追い求めていたようだ。その景色を浮かび上がらせる「鍵」、それは言葉なのかもしれない。

 

言葉は、住む地域によって異なる。言葉は、人が住む風景を作り、私たちは言葉に生かされている。

 

言葉が人を作ったのではない。人間が言葉を作ったのだ。そう考える人もいるだろう。それも一理ある。実際に、言葉が生まれるより先に、人間は地球に存在していたのだから、そう思うのも無理はない。

けれど、言葉というものが登場してから、人間はそれまでよりも豊かになったのではないか。そう思うと、(随分早足で強引気味ではあるが)人間はいつだって言葉によって進歩して生きている。そうやって未来をこじ開けていけるのではないか、という気がしてくる。

 

言葉は未来をこじ開ける鍵になる そうだと私は信じている。

 

 

 

♡自己紹介♡

成田美智子(なりた みちこ)仮名。

1991年東京都多摩市生まれ。中央大学文学部卒。痔持ちの鬱病。2016年から思考盗聴被害に遭い、日夜敵と格闘中。現在、唐木田帝国大学在学中。総合人文サークル「亀頭庵」主宰。