英語の勉強をやり直す

 大学を卒業してから、2年が経過した。東京から田舎に戻った後の僕の頭の中には常に都会の喧騒が鳴り響き、心は毎晩のように都会の暮らしを懐かしんでいる。

 僕は地元の同級生たちに一年遅れて、大学に入学した。加えて志望大学には落ちた。いわゆる浪人生活というものを送り、その間は苦手科目の数学を克服すべく勉強したつもりだったのだけれど、それもかなわず、何もかもが中途半端だった。

 そんな僕を、高校時代から今に至るまで応援し続けてくれる恩人が居る。それは、高校3年間の面倒をみてくれた担任教師だ。彼は英語教師で、とても男らしい、僕にとっては憧れの人物だ。

 今思うと、なんでそうなったのかよくわからないのだが、僕が2年生の頃に、3年生と合同で英語のテストが行われた。結果として1位をとったのは3年生の先輩。しかもガリ勉だった。その人に負けたのが、悔しくて僕は、担任が別クラスで授業を終えて戻るところをつかまえた。その時、なんと言ったのかはわからない。「どうすればガリ勉に勝てるのか」、みたいな事を言った気がする。そして気が付いたら僕は彼に「弟子入り」していた。そこから、単なる「担任」と「教え子」ではなく「師匠」と「弟子」の関係になったのだった。

 それから師匠は僕に英文法を叩きこんだ。教材は桐原書店の『ネクステージ』だ。これは英文法問題に関して定評のある参考書である。事実、見開きで適切な解説と問題が収められているのだから使い勝手は良い。

 加えてリスニング対策と称して、ALTのアメリカ人教師の通訳代わりをしろ、という課題でドライブや校外で訓練をしたこともあった。その頃の僕は今とさほど変らない引っ込み思案で、この通訳訓練のようなものは長続きしなかった。「せっかく機会を与えてやっているのに、どうして言うとおりにやらないんだ」と、その時ばかりは師匠にコツンと頭を叩かれた記憶がある。(実際はもう一つ叩かれたことがあって、それは単なる笑い話というかじゃれあいなので割愛する)

 なにより師匠から教わったのは英作文だ。僕が書いた英作文に対して師匠が毎回、赤を入れる。単に英文法の指摘をするのにとどまらず、師匠の赤ペンには教訓が込められていた。特に今でも英語に向かう際、心に留めているのは「リフレーズする」という教訓だ。問題文の内容を噛み砕くというか、「その話はつまりどういうことか」と一歩踏み込んで考える必要がある、という事なのではないかと思う。f:id:keybeword:20170527223448j:image

 

 そうこうして、師匠からは英語のみならず、なんというか男としての生き様みたいなものまでを感じさせていただいたのだが、僕は成田美智子だなんて名前を名乗ったりして今日に至るまで全く男らしくない。おまけに学歴も低い。

 

 あの日々が過ぎさってだいぶ経ち、あれこれ思い出していると、どうやら僕は英語を勉強するのが楽しい、ということが分かった。加えて英語を勉強して、それを使ってみたいという欲望が湧いてきた。

 それは読む、書く、聞く、話すという4技能のことだ。読むのは英語の小説を読むこと。書くのは英語で論文や文芸作品を書くこと。聞く・話すは文字通りのこと。

 これらの目標を達成するためには、今までの勉強(のようなもの)では叶えることが難しい。なぜなら僕はその方法で「失敗」をしたからだ。

 師匠は僕に機会と指針を与えようとしてくださった。それを僕はモノにすることができなかった。師匠から離れてだいぶ時間が経過した今、僕は一人で英語の道を再出発する必要がある。

 

以前の記事で書いた澤井さんの本を基に、英文法を土台として定着させ、そこから読解や英作文の技能に磨きをかけていきたいと思う。

 これまでの英語学習には、資格取得(特に英検)の側面が強かった。けれど今はそういう次元じゃなく、広く文化としての英語、言語としての英語に僕は向き合いたい。

そうして先に書いたアウトプットの活動を展開していきたい。その時、言葉は未来をこじ開ける鍵としての役目を果たしてくれるだろう。