「路地よりの断章」(超掌編)

 その日も、風は海と陸の間を行き来していた。それが彼の仕事だった。生まれてこのかた一歩も故郷から出たことが無い彼は、時折、太陽の光が降り注ぐ路の端から端まで駆け抜けてみたいという思いを抱くことがあった。

 けれどもそれ以上に今は、自分が生まれた土地の人々や自然に恵みをもたらす己の役割が誇らしかった。良いことばかりではない。時に人々は彼を恨む。それが彼にとっては仕事ゆえの疲れであり、心地よい刺激でもあった。

 一日の仕事を終え、風は夜霧が濃く這い上がってくる路地を歩いていた。歩を進めるごとに、彼がこれまで運んだことのない空気が近づいてきた。時々、このような場面に出くわすことがあった。けれども今回はそれらと異なり、風の身体を熱くするものがあった。空気に触れると、今度は声が聞こえた。

「勝ってくるぞと勇ましくー、誓って故郷を出たからはー」その声の主は少女だった。

その声に、風は自分の足元を見失った。そこで彼は路地で仰向けになって寝てしまおうかと思った。もっとその声を聞きたい。近づきたい。そう思っていた矢先、誰かが風の前を横切って言った、「お兄さん、おっぱいどうすか?」

 

(了)